◎シリーズ相模原の未来を創るその1(No27.2003年秋号掲載)
“みらい研の役割”
対談●黒川和美(さがみはら都市未来研究所所長・法政大学教授・経済学)
野沢正光(パートナーシップ型まちづくり懇談会委員、建築家)
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さがみはら都市みらい研究所が2003年4月に立ち上げられました。ホームページによると、「都市内分権」を今年度のメインテーマに据え、市民とのパートナーシップによる研究を進めていきます、とあります。具体的にはどんなことを研究し、私たち市民とはどのような関わりを持つ研究所なのか?所長に就任されたばかりの黒川氏とパートナーシップ型まちづくり委員の野沢氏との対談を試みました。
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◆市職員の中に人を作る
野沢 ヨーロッパなどでは都市が独立的にシンクタンクを持って、都市のデータベースや資料集めをして、場合によっては具体的なコンセンサスの提案、方針を出していくようなものがあると聞いている。さがみはら都市みらい研究所(以下、みらい研と表記)は、突然生まれた感じで、何をするかという話の前に、どういう目的でできたのか、前提を話してほしい。
黒川 何か物事を進めていくのに、適切に判断する材料が提供できたら、物事は決まる。僕はもともと大学の先生なのだから、みんなが納得するデータや情報を提供、分析することに関してはそれなりに能力があると思っていましたし、そういう能力のある人をもっと増やすことも僕の仕事だと思っています。
だが行政は、なかなかそれを理解して組織化してくれない。相模原には、自分で物を考えても構わないと思う人がたくさんいます。僕はこれまで市の政策アドバイザーとして市長や市の幹部の前で、こういうことを考えたらいいのではないですかと言わせていただく立場にいて、市の職員とお知り合いができた。適切にきちんと分析して提示したら、それを理解し、考え、実行する人が増えた。ちょっと高いレベルで物を考える人たちの場とか機会をつくることがとても重要だと思いました。
樋口(副所長) 研究所の話は唐突と言われましたが、平成十三年度(二〇〇一)に市政調査専門員の金井利之先生(当時都立大助教授、現東大助教授・行政学)からシンクタンクについての提言を受け、これからは先駆的に政策立案していかなくてはいけないと、検討を進めてきて、中核市になる本年四月を機にみらい研が発足をしました。
◆人口は 63〜64 万人止まり
野沢 黒川先生はこれまで経済学者として相模原市をどんなふうに理解され、どんなアドバイスをされてきましたか。
黒川 一つは人口、もう一つは公共交通に関わること。一年間に二、三回、市三役を前に話をする機会がありました。これについて話してくださいではなく、この街をどう思いますかというものでした。
野沢 人口と公共交通は先生のご専門ですか?
黒川 いや違いますが、公共交通は詳しいほうだと思います。相模原は自動車社会になり過ぎているということと、こんなに都会化したライフスタイルになっているのに、時間に関して不安定な生活を送ることはおかしいのではないかということで、どういう公共交通がいいかについては話をしておりません。
人口に関しては、ある時期七十万人ぐらいになりそうだと考えていらしたのを、うちの大学院の人たちで予測し、市全域で計算していたのを地域別に計算すると、どんなに頑張ってもまず六十三、四万人のところにしかならない。それ以上大きくなる場合は、思い切ったプロジェクトで人を呼び込んだケースだけだと。予想通り出生率も一気に下がって神奈川県並みにきたと思います。このままでいくと、六十三、四万というところでまず安定するのではないか。
野沢 そのあと、急速に下降する?
黒川 それはもう、明らかです。
◆特徴のない町に面白さを探す
野沢 僕たちはパートナーシップ型まちづくり懇談会で提言をまとめました。その中で、相模原はよく特徴のない町だと言われますが、一般的に言えば少し大きめのスプロールした郊外の、急速に開けた都市という意味ではこれといった特徴のないのが普通で、そのためにどんな差異を探していくかが面白い、ということを言っている。
高度制限も何もなく〃発展〃し混乱する駅周辺と、相模川を中心とした河岸段丘にある大変な自然のストック。この二つの交流がアグリツーリングとかグリーンツーリズムを同じ町の中で日帰りで日常的にできる大きな構造を持っているあたりが、この街の面白さかなと思う。つまり農業、自然、それを破壊しているゴミ問題、不法投棄、そういうものに着目していくことが相模原のストラクチャー(構造)を理解する大きな部分ということが、懇談会の議論の中から一つあった。そんな話が政策アドバイザー(黒川さんを含め三人)の中から出ているのですか。
黒川 ほかの方の話は知らないのですが、相模原をどう考えるということに関しては、所長になってからはすごくスタンスを変えています。ですから公共交通が必要だということも言っていませんし、相模川の河岸段丘が素敵だとか自然に恵まれていることもあえて言おうと思っていない。
僕のイメージというのは、みんなで決めてほしいということだから、相模原のグッドアドレス(好きな場所)はどこなんですかとか、みんなが相模原のシンボルと思っているのは何なんですかと、ひたすら問いかけることをしていて、議論するプロセスで共通項ができてくることが大事なんでしょうね。
野沢 じゃ大学のゼミの先生と同じことをやってらっしゃるんですね。
◆議論の場を繰り返し作る
黒川 全くそうです。それが研究所が中立であることであるし、この市のレベルが高くなるかどうかは、たくさんの人がたくさん議論してくださる場があって、反対意見があって、それにどれぐらい対抗できるか、どれぐらいメインの意見が強く打ち出せて、それにまた反対する人がいてという場を何度も繰り返し作れるかということにある。
ある人は都市的な界隈性が必要だというし、ある人は自然を必要だとする。両方とも追いかけることが可能になっている街がこの街だとも言える。若い大学生がいっぱい入ってきている街だけれども、老後をゆっくり自然の中に置きたいという人もいる。
野沢 そのためには相当なタレントが所長さんの下に集まってこないと。
黒川 そんな偉そうなこともなくて、モチベーション(動機づけ)を持っている人が来てくれたら私がたたき上げてあげますと言っている。それは誰もが納得するような分析の仕方で説明できるようにしてくださいということで、いまホームーページやなにかで文章など載せてくれているけれども、水準が低いと即ダメ出しをします。
野沢 シンクタンクとして進めていくのは、主に都市内分権の問題が大きなテーマですか?
樋口 それは共同研究のテーマで、チームリーダーは牛山久仁彦先生(明治大学助教授、行政学、市の政策アドバイザーの一人)です。
黒川 私が引き受けたここの一番いいところは、私の人間関係で東海大学、慶応の藤沢とか中央大学といっぱい知り合いだらけ。青山学院はラッキーなことに近づいてきてくれた。こういう分野のことは彼に聞きにいきなさいと簡単に言って、相手はノーと言えない環境にあることは大きいと思う。
野沢 みらい研というフィールドにいろんな人が来てくれる。そこでどんなプロジェクトが作り上げられるかということが大事だと思う。当座のテーマは何になるのか、僕ら理解するときの手立てになるかなと思って都市内分権ですかと聞いたのです。
樋口 そうです。都市内分権です。そのほか大学の先生方に政策提言、共同研究、課題助言のアドバイザーをしていただいており、課題が担当課から出てきて、うちが窓口をします。
◆市長直属か市民直結か
野沢 これはシンクタンクであるとすると、もちろん市民のためでしょうけど、一番の責任を持つのは市長ですか。
樋口 最終的に研究成果は市長に報告するシステムです。同時に市民に公開します。
野沢 ネットワークでいうと市長室にぶらさがっている……。
黒川 市長が喜ぶ答えになるかどうか請合うことはできない。それはちょっと違ってくると思う。
樋口 自治体内部のシンクタンクだけれども、必ずしも市長に都合のいい提言をするかどうかは別ですから、そういう意味での独立性は所長の権限でキープしようと考えていまして、将来独立ということもあるかもしれませんが、いまのところ財政的にもできません。企画部と違うのは、企画部の場合は施策化を検討する。うちの場合の提言は、市長がいいと思えば施策化するけど、しないでお終いになるケースもある。
◆相模原らしい決まり方を
黒川 いろんな物事の決まっていく決まり方のプロセスも少し相模原らしいものになればいい。具体的に言うとなんとなくそうじゃない決まり方をしたものを、もう少し教養のある決まり方にしたい。(笑い)それが大人の自治体のやることだと思っていますからね。
野沢 教養ある大学の先生方のネットワークによって、インテリでなかった相模原市の行政をもうちょっと教養高いものにしていこうという(笑い)一方でそのインテリジェンスというものは市民の側にも多様にあって、市民社会の側がある意味では醸成していく。教養深いものになっていき、応答可能なものになっていく、そういう関係があるのでないか。
黒川 誤解をされている面があって、僕たちがやるのはランクが上というより、誰がやっても客観的なデータ分析とかを提供するから研究所なのです。どういう価値を追求するのがいいということは言ってない。ほんとうに人口は増えるのか。どの地域にはどんな人が住んでいるのか。たくさんの知的な集まりがあるのに、適切な情報を手に入れたりできるか。それも相模原市内のデータでいいか。町田、八王子、津久井、城山、厚木との関わり……わかっていそうで僕らの関わった時点ではデータがなかった。
◆政策提言できる研究所に
野沢 逆に言うとそれ相応の行政全体が下支えしながら、実にたくさんのデータの解析なり分析なり、場合によってはそれの客観的な評価までやっていくという仕組みを作らないといけない。分権型の社会でないときは、霞ヶ関の言う通りのことをやりなさいという社会だからあまり自らの独自性でものを考えるということをしてこなかった。その辺で言うと研究所はきちんとした統計研究所みたいな機能だとか、いくつかのテーマに基づいた政策提言そのものの根拠を作っていく相当の陣容を整えないと先生のおっしゃっていたような仕組みを有機的にできないかもしれない。
行政の人間に声をかけてその場その場で一つ一つのプロジェクトを作ってデータを集め、評価していくことは可能なのかもしれない。逆に先生自身のモチベーションで問題を絞られて、自身のご意見を言われながらデータなりを誘導していくということでないと。
黒川 統計情報担当の部署あり、コンピュータを使って行政を情報化していく部署もありなんです。それぞれのところで、いまの機能の仕方はしている。GIS(地理情報システム)とか地域のデータベースもある。消防は消防で持っている。どこにお年寄りが何人いて火事のときはどうするか、情報は持っています。みんな持っているけどお互いに知らない。分からないメカニズムになったまま、それぞれのところでお金を使っていて、それを私たちが見ていて、こういうふうに重なっているんですねとか。
◆まずデータ活用の楽しさを
とりあえず私が引き受けていることは、分析することは結構楽しいよということを職員にも知らせる。市民の研究員で集まってきた人も分析することは面白いと思うこと。ただ、市民の応募された方は「私はこう思う」とヤミクモに書いてこられた方が多い。「僕に説得力ある説明してください」と問い返すと皆困るんです。皆にそういうことができていて、こういうエビデンス(証拠)がありますよ、こうじゃないですか、これは市民にも言ってくださいというプロセスを、できるだけたくさんの部署の中で、行政の中でも地域のコミュニティ活動の中でも、そういうことが繰り返されるようになっていくことがいいんじゃないかと思います。何かあったときに、やたらこの研究所に電話が掛かってきて、あれはどうなってますか、と聞かれるようなことが大事だと思います。
◆楽観できない行政の対応
野沢 補助金が国からきて、それが方策とか方法まで決まっていた、という中では、極言するとインテリジェンスは必要でなかった。言う通りにすればよかった。そうでなくなったときには、どういう方法があるのか独自に考えなければならない。そのためにはものすごい教養なり知識なり経験なり、データがないとできませんね。
まちづくり懇談会で僕たちの作った指針の案はなかなか面白いと吉田民雄先生(東海大学教授・行政学、市のアドバイザーの一人)もほめてくれた。その案にはタックスペイヤーとタックスサーバントという言葉を入れてあった。サーバントという言葉に違和感があったのか、指針にはその言葉が抜けた。
これが印象的で、既存の行政の仕組みの中で、いまのシンクタンクの役割を、データ解析、情報収集して動いてごらんなさいと言われたとき、生き生き動く仕組みというのは難しいのではないか。いまの行政のメカニズムが自主的にオプチミスティクに変っていく、すごく自発のシンクタンク化していく、みたいなことはそう簡単に期待できない。そういう発想になれてない組織を先生のおっしゃるような温かい路線で……。
黒川 これは不思議なことだけれど、研究者ってみんな何故やっているかというと、それだけで結構楽しいんですよ。あなたの街のことを何か言おうとしてすごく強気で、今回の研究員の方たちも全部自己主張されている。その自己主張の根拠はどんなものですかと冷静に考えてもらうように、一歩一歩下に下りながら自分で分析してくれると結構ハマって皆楽しくなる。
対談はまだまだ続きます。続きは本誌(No27)の方で…
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◎シリーズ相模原の未来を創るその2(No27.2003年秋号掲載)
平田オリザインタビュー“芸術文化都市の創造”
桜美林大学PFCプルヌスホールにて
●語り手 平田オリザ (劇作家、演出家、劇団青年団主宰、こまばアゴラ劇場支配人芸術監督、2000年4月より桜美林大学文学部総合文化学科専任助教授)
●聞き手 秋山直己 (劇団ノーサイド主宰)
●2003.8.30 淵野辺駅前の喫茶店にて
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平田オリザ氏は劇団青年団を率いる演出家であり、劇作家である。また、その独自の文化論は演劇というジャンルにとどまらず、様々な分野に影響を与え続けている。とくに演劇をはじめ、芸術を通じての地域社会の創造は、我々に、あるインスピレーションを与えてくれる。世界的に活躍する氏の新たな拠点が、今回相模原淵野辺(桜美林大学PFC内プルヌスホール)に誕生したことをうけ、直撃インタビュー。
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学生の公演もオーディションで
秋山 さきほどプルヌスホール(桜美林大学PFC プラネット淵野辺キャンパス 1Fに今春誕生した小劇場)で面接のようなことをされていましたが……。
平田 十一月にこのホールで私の「もう風も吹かない」を上演するので、オーディションで選ばれた四十人をさらに二十人ずつに振り分けているところです。
秋山 桜美林の学生さんですか?
平田 はい。うちの大学は全部の公演がオーディションで決まります。四年間いても全く芝居に出られない学生もいれば一年のときから毎回出る学生もいる。アメリカでは普通のことですが。日本の大学は一年ごとに一年生の発表、二年生の発表ってやる。それは全く意味がないと思う。外に出たらすぐに競争社会に放り込まれるのですから。
秋山 そうするとあくまで質を追及していくという。
平田 劇団運営もそうですけど、プロ野球やサッカーと同じで、育てながら勝つことが大事だと思っている。だから今回も意図的に一年生も何人か必ず採っています。若干教育に重点を置いているけれども、あくまでプロの集団と同じような扱いで接しています。
秋山 青年団の中でお芝居を作られるときと、桜美林の中でと、何か区別したり変えたりしてる点ってありますか。
平田 プロよりはたくさん説明はしますが、私自身、外でも仕事しますから、そのときとそんなに変らない。
秋山 学生に、もっとこうあってほしいという要求は。
平田 いまの高校生とか大学生は目標を持つと非常に強い力を発揮するし、海外なんか行っても物怖じすることはないけど、目標を持つまでが大変なのだろう。昔だったら社会の目標と個人の目標が近かったから目標が見つけやすかったけど、いまは価値観も多様化しているし、親とか先生とかが規範にならない。目標を見つけるのが難しく、それまでの間に精神的に擦り切れてしまう感じがする。
俳優養成だけでなく人間性を
秋山 いまの子どもたちは、社会にあきらめみたいなものを持っているのじゃないかなというような気がする。
平田 僕が桜美林の総合文化学科の仕事を引き受けるときに、今までのような俳優養成のための大学ではあまり意味がないと考えた。俳優になりたい子で、才能があって努力して運もよければ千人に一人はなれると思うが、そのためだけに大学制度があるとすれば、それは大学という機能を果していると言えない。そこにチャレンジする過程で人間性が高まっていったり演劇的な能力を身につけたりすることによって、その人の人生が豊かになることが大事だと思う。できれば俳優になれなくても演劇の周辺で仕事ができればいい。
実際、社会の風潮としても、演劇的なコミュニケーションの能力が求められてきている。大学の進路相談などやると、親のほうが熱心だったりする。親は五十代ぐらい、同世代がリストラされるのを見たりして、いままでのような出世至上主義みたいなところでは子どもは幸せになれないのではないかと、痛切に感じている世代だと思う。そのときに子どもが多少なりとも演劇や表現に才能がありそうだとか、興味があるんだったら伸ばしてあげよう、運良く俳優になればいいし、そうでなくてもそのほうが、子どもの人生のために得なのじゃないかなと考える親が増えてきている。十年前だったらあり得ないことでしょ。子どもが演劇やるというのに親のほうが反対したわけじゃないですか。
真のアートマネージネントとは
秋山 芸術に何を求めるかというものは……。
平田 社会全体という意味では、まだまだそういうことは全くひどいですね。大学の施設で夜遅くまで練習したりしていると、教授会などで「演劇ばかりやっていて学業をおろそかにする」と。(笑い)大体これが日本の知識層の標準の感覚で、要するに歌舞音曲というのは二次的なものであって、本を読んだりするのが高尚であるとする感覚が根強く日本人の中にある。それを少しずつどのように理解を広めていくかが、ほんとの意味でのアートマネージメントだと、よく学生に言っている。
秋山 演劇の中でもエンターテインメント的なものと、文学性のあるものとは切り離して考えたほうがいいのか。
平田 それはもうどんどん勧めている。実際にうちの講師陣でも花組芝居の加納幸和さんや新劇系の人など、僕と違うスタイルの人にも講師として来てもらっている。一つの演劇のスタイルで一貫した演劇教育をするのでなくて、さまざまな演出家に出会って四年間の中で自分のやりたい演劇を見つけてもらう方針です。そういう意味では何をやってもいい。今度学生たちがやる中でプロの漫才師の子が中心になっている劇団があるんですけど、それもどんどん勧めている。
行き詰まっている中学生教育
秋山 子どもがおとなしくなり、家庭でコミュニケーションがなくなり、親も子どもをいい大学に入れなければいけないとか、そういうプレッシャーがあると思うんです。その中で芸術が果さなければいけない役割みたいなものは。
平田 僕自身は小中高大学と、すべての学年でワークショップやっていますが、大体、中学生が一番難しいですね。異性を意識し始め自我が確立する頃でもあるのですけど、そうは言ってもそれだけじゃないなという感じがする。小学校の三、四年生ぐらいまではある雰囲気を作っていくとわぁーっと盛り上がってうまくいくけど、そうならない。そこのところの教育が一番行き詰まっているのでないか。
海外の子どもたちと比べて見ると、他人の目を意識するというのが強烈にある。他人と違うということに対するほとんど恐れのような感覚を抱いている。それが小学校三、四年まではあまりない。何か学校のシステムの中で血栓みたいな、詰まっているものがあるのだと思う。どこかの段階で、もう君たちは子どもでなくて競争社会なんだよというのを教師たちが無意識に教えているんだと思う。明らかに何かある。その何かが見つかれば、教育改革にしても、もうちょっと具体的なものになっていくんだと思う。
小学校からまともな表現教育を
演劇教育に携わっている人からよく「演劇やって変りました」と聞くし、ワークショップや子ども劇場のお母さんたちも「ほんとうに演劇は素晴らしい」「目の色が変ってきた」などと言う。ですけど僕はお母さんがたに、演劇はマジックではないと言う。いま黙っているけれども三年後とか五年後に、ぼけっとしていた子が思い出してくれる授業が大切で、そんな即効性のあるものじゃない。それでも実際にやっていると手遅れという感じになる。小学校くらいで、もうちょっとまともな表現教育をしてくれたらという感じはある、
人と違うということを恐れないという勇気。人と違うことのほうが面白いのだという興味を持たせることが、演劇の最大の役割だと思う。音楽や美術よりも演劇のほうがその力は持っている。障害者のワークショップには音楽とか美術は入りやすい。叩けば音が出るし、塗れば絵はできる。演劇は言葉を使うからなかなか難しい。だけどやったときの成果というのは、音楽とか美術以上のものを出せることがある。何故かというと「違い」が前提になる。
去年から三省堂の中学二年の教科書(『現代の国語』演劇学習教材「対話劇を体験しよう」)に僕のワークショップの話が載って、よくモデル授業するのですけど、そのときにまず朝の教室の風景を作っていく。「朝、先生が来る前にどんな話しているかな」と相談する。大体優等生的な子が、クラブ活動の話をする。「ほんとうにそうかな」「それだけでいいかな」と聞いていくと、中に話さない子が出てくる。うつぶして寝てるから全然話さない。「いいね。寝てる子も作ろう」。それからいない子も出てくる。いつも先生がくる直前に学校に来るから友達が何を話しているか分からない。「そういう人も作ろう」。とやってみると優等生的な班よりも、寝てる人がいたり遅刻して来る人がいる班のほうが演劇的に面白い。いろんな奴がいたほうが面白いことが分かる。
他者との違いが面白い
でもこれは従来の国語教育とはやっぱり一線を画すものであって、従来の国語教育にしゃべらない子なんていない、想定できない。「何を話していますか」と教師から聞かれたら、何か話すものを提示できるのが優等生でマルもらえる。でも話さない、いないから何を話しているか知らないは、いままではバツをつけられてしまう。そうじゃないんだ、いろんな人がいていいんだ、いたほうが面白いんだ、ということを演劇を通じて感じ取る。いまの日本の学校教育の中で演劇を生かしていくとすれば、そこが一番大事でしょうね。
秋山 個性と多様性ということですね。
平田 演劇が国語の中に分類されていいのか別にして、現実問題としてそこにしかないわけだから。ただそれは従来の「国語」の考え方と大きく違いますよね。日本の国語教育はもともと明治時代に強い軍隊を作るために国家の要請で共通の言語が必要だということから生まれた。だから国語と呼ばれるわけです。これは美しい日本語とか正しい日本語があらかじめあって、それを知っている教師がそれを知らない子どもたちに伝える。しかし美しい日本語、正しい日本語なんて本来はない。あるとすればそれは子どもたちの中にあるはずだし、それを見つけてきてあげるのがこれからの教師の仕事なのだが、これは教師にとってものすごい転換です。勇気がいる。それが演劇を通じてなら少しできるかもしれない。
地域の劇場の力が大きい
秋山 なるほどそうですね。
平田 まあ、だから時間がかかりますよ。桜美林の子たちが卒業して、地元に帰っていろんな形で文化活動とか総合学習の時間とか関わるようになって、その授業を受けた子どもたちが桜美林に来て卒業してぐらいじゃないか。それぐらいかかる。三十年ぐらい。
秋山 実際に中学校なり高校の演劇部を指導する人間もその辺り、どうやって改善するか……。
平田 一つは高校なんかでもこれからは合同公演とかテクニカルな部分で解決していくものと、やっぱりなんといっても地域の劇場の力が重要でしょうね。アメリカのやり方が全部いいとは思いませんが、アメリカの場合は芸術文化の活動というのは学校と切り離している。いま日本でもサッカーがそれに近くなっているが、サッカーってクラブチームじゃないですか、クラブチームの下部としてジュニア向けのがある、ああいう感じで学校教育と切り離して地域で責任を持つ。その代わり広域でいろんなところから学校や年代の枠を取り払って集まった人間が一つの作品を作る。
インタビューはまだまだ続きます。続きは本誌をご覧ください・・・